「生きる力」で生きてるかい? ~元教師の学生の見るゆとり世代 inキャンパス~(仮)

 
MY HOME
 

カレンダー

<<  2008年11月  >>
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
本日:2008年11月21日



ランダムブログ

カテゴリ一覧

教育

若者の生活

教育現場の実態



お気に入りへ

新着記事

教師のわいせつ事件は止まな...

小学校だけ学級閉鎖?の真相

方針変更のお知らせ

○○を死守する若者たち

総合学習の幻影 何を与えることができたのか?

先生、トイレ行ってきていいですか?

「円周率は3」で計算しました。

ゆとり世代とともに学んで、見たこと、聞いたこと、思ったこと。


新着コメント


 

 

>>>   教育現場の実態

教師のわいせつ事件は止まないのか? 2008-02-20 12:30:08 

私立高校の教師が猥褻事件で逮捕された。相手は女子高生だったという。
自校の生徒か他校の生徒だったかは報道では触れていなかったので判らない。

この手の事件は実に多い。実際には逮捕されるケースは氷山の一角ではないのだろうか。
現場にいた当時も、表沙汰にならなかったものを数件、見聞きしている。
だいたい私が高校生当時から感じていたのだが、高校教師で若い奥さんをもらっているケース。
かなりの率で元生徒なのだ。そしてそういう夫婦が実に多い。
「卒業後にちゃんと交際して結婚に至ったのだ」とおっしゃる向きもあるだろう。
でも私の近所やら同級生の女の子が高校卒業後、即、母校の教師と結婚という事例を実際に目の当たりにしてしまうと・・・
在学当時にすでに交際関係にあったのだとしか思えなくなるのだ。
猥褻事件になるケースがその中に含まれているかはわからない。しかし否定することも難しいであろう。

まあ恋愛ならともかく、結婚されてしまうと外野がなかなか口を挟むことは難しい。
ただこういう「未成年少女と社会人男性の恋愛」というのは一般社会ではなかなか成立しにくい事案であるだろうけれど、学校という閉じた社会の中ではむしろ高率で起こってしまうという状況こそが問題なのかも知れない。
高校であれば教師-生徒の年齢差は少ない。少ないがために若い教師はそれはそれで苦労することもあるが、世代が近いために恋愛関係に至る可能性も高いだろう。
しかし対生徒恋愛は小中学校でも発生しているし、それが事件化することもめずらしくない。
ほれ、それこそ夕刊フジを一ヶ月間もウォッチしていればそういう記事に必ずお目に掛かる。

なぜに教師は(まだ子供の)生徒に手を出すのか?


理由としてよく挙げられるのは『教師は異性との出会いが少ない』という話である。
これはある一面では正しい。え?女性教師がいるだろ?
女性教師の比率が一番高いのは小学校である。中・高となるにしたがい、比率はどんどん下がる。
職員名簿を見てみればいい、高校などいまだに女性教師の比率が極端に低い。
同業者同士が夫婦になっているのは小中学校ではわりと普通の光景である。
でも高校ではそれはめずらしい。一般の方には驚かれるかも知れないが、高校教師同士の夫婦もあまり多くはないが、さらに高校教師が小中学校の教師と結婚するパターンとなると珍しいのだ。
小・中学校は市町村教育委員会の管轄であり、小・中をまたいだ転勤もあり得ること、せまい学区を共通とすることが多いこと、研究授業などで接触する機会も多い。組合活動も共通だし。
ところが高校は都道府県教育委員会の直轄。組合も別組織。実際に勤務していても高校職員と小中学校職員が接触する機会は実に稀である。同期採用のひとでも初任者研修期間を過ぎれば遭遇する機会も激減するはずだ。
おまけに小・中学校教師の夫婦は異動のさいもそれなりに考慮される。同じ管内に同時に異動とか。
ところが中学校教師-高校教師夫婦の場合、そういう配慮はない。同じ県の教育委員会の採用なのに。
(ついでに言えば、県職員と教師の夫婦の場合も同様である。同じ県職員という括りなのだが、所属組織が違うとそういう倫理的な配慮は考えるに値しなくなるらしい。)
男性高校教師の場合、同業者との結婚を考えるとなっても、数少ない女性高校教師を射止めるのは確率的に高くないのである。
そのせいかどうか判らないが、「あの先生は教育実習生と結婚したんだって」なんて話は小中学校ではあまり聞かなかった。

ただ、最近は中学校でも独身率が妙に高くなっている。
原因のひとつとして考えられるのは若手教師の採用数が非常に少なくなったことである。
赴任校に20代が自分一人しかいなかった、なんてケースも現在は珍しくない。
それと過熱気味の部活。特に運動部では土・日・祝日をほとんど活動で喰われる顧問も少なくない。
若手の顧問となると保護者たちも指導に期待しがちで、そうそう断り切れなくなりやすい。
実際に休日部活にかかりきりになってしまい、婚約者との逢瀬もままならなくなり、婚約破棄になりかけた同僚もいた。
部活指導に熱中した挙げ句の離婚とか。相手が同業者だとまだ理解も得られるだろうが、そうでない場合、難しいだろう。
教師のプライベート時間を簒奪するのも考えものである。
おかげで30代教師の大半が独身という悲惨な職場も現実に存在しているし。
最近、小中学校での猥褻事件が目立ってきているのも当然かも知れない。


もう一つ私が考えるのは「教師特有の錯覚」である。
学校という独特の閉鎖社会に漬かり続けることで起こる現実感の喪失である。
私も退職しなければ危なかったかも知れない。

朝の8時から夕方まで、場合によっては夜間まで若い生徒らと生活を共にし、土日も生徒らと一緒。
そういう生活を続けてくると、自分が何歳であるのか客観的に見えなくなってくるのである。
自分もまだ思春期な感性で行動してしまうとか。
老成した思考ではなく、若年者のアタマに染まってしまうのである。
成人ばかりの職場などで勤務している方には理解しにくい心理状態だと思う。
教師の中には制服がジャージと言わんばかりの人間もいて、まっとうな社会人に眉をひそめられることもあるが、それも似たような心理状態かも知れないのだ。
おそらく、着用している本人は四六時中運動着用で生活している自分が、社会的にいかに異常なのか気がついていないだろう。
ジャージ常用もそうだし、この御時世での校内喫煙とか世のヒンシュクを買うような行動を自覚なしに続ける教師は少なくない。
別に彼らは悪人というわけではないのだ。社会一般的感覚から乖離しているだけなのだ。
ただそれを自覚できなくなっている。自分の姿を見る客観性を失っているのである。

問題行動を起こす教師の多くはこれに当てはまると感じた。おそらく一般企業に入っていればこういう人間にはなっていなかったろうなあ、と。
生徒との恋愛も私は同列だと思う。彼の頭の中では自分の姿は男子高校生に変換されている。のではないだろうか。
まともに考えれば、いい歳した男と未成年の少女が学校内で寄り添って歩いているというのはグロテスクですらある。
グロテスクは言い過ぎだとしても、全生徒に対して公正な立場でなくてはならない公務員としては勤務の場にそういう関係を築くのはまずいのだ。
プロである以上、教育職員としての義務が最優先される。されなければならない。
でもたぶん、公務員としての義務とか成人としての規範とか・・・頭の中から消し飛んでるのだろうなあ、と嘆息してしまう。

これも巷で言われるのであるが「もともとロリ・ペド嗜好の人間がねらって教師になる」という話。
意外にそれは少ないと思う。
教員免許を取るのは実に煩雑である。
単位を取るのは教育学部でなくとも可能であるが、教育実習という難題が待ち受けている。
大学時代の同級生などにそういう嗜好の人間が数名おり、密かに教師を志望していたので危惧していたのであるが現場に立つことになった者は皆無であった。
自分の性癖の充足のために払う労苦がいかに間尺に合わないものであるか途中で気がついたらしい。
実際問題、採用試験の志願倍率はハンパなものではない。そういう強烈な動機付けを持つ人間が大挙して受験したところで実際に教壇に立てる者は数えるほどであろう。

 

でも在職中、「生徒とそういう関係になるのは望ましくない」とか明言する管理職には最後までお目に掛からなかった。
そう最大の問題はこの手の問題をタブー視し、あえて触れないで放置しておく『組織的な事なかれ主義』なのだと思う。
たぶん、今後も対生徒の猥褻事件とか減ることはないだろうな。
むしろ増えるかも知れないと危惧する・・・。


 

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=8

Comment(0) TrackBack(0)


>>>   教育

小学校だけ学級閉鎖?の真相 2008-02-14 12:45:03 

学級閉鎖・学年閉鎖・学校閉鎖。
風邪・インフルエンザの時期になるとニュースを賑わわせる。
患者多数で授業が成立しなくなることと、健康な児童生徒を守ることが主目的とされる。
これを規定しているのは学校保健法なハズだが条文は読んだことがない。
ただ単なる臨時休校とは位置づけが違ったことは間違いない。

幸か不幸か、私は学生だった時分にはこれらが適用されてことはなかった。
だから自宅待機の経験もない。
自然災害での臨時休校は何度もあったから、やはりこの閉鎖という処置はあまり多くなかったのだろう。

さて、実際に教職に就いてみるとやはりまず閉鎖に遭遇することがなかった。
十数年の勤務期間の中で別々の学校で学校閉鎖が1回、学年閉鎖が1回だけ。
もちろん毎年どの学校でも風邪は蔓延したにもかかわらず、である。
特に中学校と高校の閉鎖はかなり珍しい。
ウソだと思ったら、ニュースをよく見てみるといい。
十中八九、閉鎖したのは小学校だから。
たまに中学校が閉鎖したとしてもその日の午後だけとか、非常にせこい閉鎖処置でしかない。

なぜ中学・高校は閉鎖されないのか。
早い話、校長が閉鎖に踏み切らないのである。予防という観点で学校の運営を考えることができないのだ。
理由はいろいろある。

まずメンツの問題。集団風邪で学校を閉めることが恥になるというのは一般社会ではなかなか理解しにくいことだと思うが、実際、そう思っている校長を複数見ているので間違いない。
中には管内最初の閉鎖を出した学校になることをなんとしても回避しようと腐心していた校長もいた。
いや、別に常日ごろの予防活動を積極化させたとかそういうものではなく、欠席者が多数でも単に閉鎖に踏み切らなかっただけの話なのだ。
いい面の皮なのは児童生徒である。周囲がゲホゲホしている中でひたすら堪えて授業に出なければならないためである。

次に時間割の消化の問題。
学校には年間授業日数というものがあることは広く知られているが、さらに各教科の授業時数も細かく決めれれている。
不足は許されないのだ。そのカウントを行っているのは教務主任をチーフとする教務課。
教師の休暇や出張で時間割変更が出た場合も個々に授業カウントをとっており集計している。
学校で閉鎖されたクラスが1つでも出ればこれに不足が出てくるわけである。
「ゆとり教育」なんて言われているが、実際には1年間で最低授業時数を消化するので手一杯なのが現状なのである。
それこそ春休みを潰して授業の穴埋めをしなくてはならなくなるので、閉鎖処置には消極的になるのも1つの事実である。
特に流行は受験直前期と重なっている。これも大きな要因と見て間違いない。

下校させた児童生徒の問題。
風邪ひいている子は家でおとなしくするから問題ないのだが、罹患していない子たちの動向を危惧する教師もいる。
要は「早く帰すと悪さする可能性がある」と。
だからヘタに帰すよりも学校に拘束させておいた方が良い、こう主張する教師は珍しくない。
いわゆる「生徒指導に熱心な先生」にもこのタイプは割と見られる。
保護者や生徒本人からすれば非常に心外だと思われるが、これも学校現場の現実のひとつなのである。

学校給食の問題。市町村ごとに学校給食の有無が分かれるのでこの問題には地域的な差もあることを先に書いておく。
特に集中調理を主眼とした学校給食センターから給食を受ける学校にとっては、このセンターとの連絡はなかなかの負担になっている。
食材の仕入れの関係で給食をストップさせることがなかなか困難なのである。学校閉鎖どころか全校行事も給食の制約を受けることがままある。
あるクラブが意外に勝ち進んでしまい、急遽、全校応援となったものの、給食停止の交渉に失敗し試合中に帰校してしまった、なんてケースもあった。
それほど学校サイドにとってプレッシャーになっているのであるから、これも閉鎖処置を消極的にしてしまう大きな要因になることは想像できることだろう。

罹患の証明。これの対応は各校で相当バラツキがあり、職員であった私も首をひねることが多かった。
インフルエンザの場合、前述の学校保健法の下、出席停止が命じられる。つまり欠席にはならないのである。大げさに言えば、皆勤賞をとるための経歴に傷は付かないのだ。
しかし、欠席扱いにされてしまった方も多数いるのではないだろうか?
「診断書を提出しなければ出席停止としない」こういう取り決めをする学校が多かった。
診断書もタダではない。と言うか、高い。数日の欠席を出席にするために安くない金を払って診断書をとろうとはなかなか思えないんだろう。私も正式な診断書が提出されたケースは見たことがなかった。
そういう経緯があったためだろうか、「学校で発行したプリントに医師の署名をもらえば出席停止を認める」とした学校もあった。
しかしこの場合、生徒の家庭から見れば2度手間。常識的に考えてもこれは難しかったたはずだ。
署名をもらうために再度病院に出向いたり、あるいは学校を休んで診察を受けようとするときにわざわざプリントをもらいに学校に寄る?
せいぜい、早退して診察を受けようとする児童生徒にプリントを持たせるくらいが関の山である。
実際、この『簡易診断書』ですら提出されることは稀であった。
「医師がインフルエンザと判定したら、その旨を学校に報告すれば出席停止」とした学校もあった。
しかしこれもここ数年、インフルエンザの判定が即日可能になってからできることであり、一昔前のようにウィルスの判定が出るまで1週間以上も掛かっていた時代には非現実的な話だった。
つまり、あまり学校側としては流行っているのが風邪なのかインフルエンザかなど大した問題ではなく、ましてや出席停止の有無なんてことを重視していない、と。
副担任の仕事として学年末に出席簿チェックを命じられることが多かったが、出席停止の印が付いた出席簿を見ることはまずなかった。

一般に養護教諭、つまり保健室の先生は職務柄、この問題にかなり敏感であり、こうした学校の危機感の無さをあまり良く思っていなようであった。
だから予防のための手洗い・うがいの励行・換気などを促すのだが、小学校やよほど人間関係が良好な小規模校以外ではそういう意見が通ることもまずなかった。
小学校での指導が実を結び、手洗い・うがい・歯磨きの習慣が定着していたにも関わらず中学校でそれがあっさりと初期化されてしまう現実を嘆く養教さんも存在していた。
食事前の手洗いよりも時間通りに席に着くことを生徒指導部は要求していたし、そもそも教師陣の衛生意識も一般常識に比べてもあまり高いとは言えないのである。

お役所的な学校運営の方針を改め、看護学部出身の専門職である彼女ら(あまり知られていないが養護教諭は全員、高等看護師資格を持っているのだ。)に耳を傾けない限り、今後も学校内での大規模流行は際限なく繰り返されることだろう。
それこそ新型インフルエンザなど発生した場合、学校が主要な感染場所になりかねないのではないかと私は危惧している。

しかし例外的もあった。
インフルエンザ感染の防止を主眼として流行の初期の段階で数日間、学校閉鎖に踏み切った例があった。
校長が理科教諭上がりであり、かつ病気に対し充分な見識を持った衛生学士だったのである。
しかし当地の教育委員会がこの英断を他山の石とした形跡は、ないのである。


そして今年も各学校の閉鎖のニュースが流れる季節になった。
あいかわらず、閉鎖するのは小学校ばかりである。


 

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=7

Comment(0) TrackBack(0)


>>>   教育

方針変更のお知らせ 2008-02-12 12:47:42 

大学での徒然だけではなく、教師をしていた時代の回想も主とする。
理由は二つ。

現在通学中の学校(とそこの学生)に対する不満は少なくないのではあるが、これは書き手にストレスを溜めるのである。
不満を文章化することで再確認するということは、頭の整理にもなる反面、不満の再確認になってしまい、さらなる憂鬱の堆積を助長してしまうのだ。
それは勉強に対するモチベーション低下ともなりかねないので。

ふたつ目。
自由な学生となってみると、職を辞したからこそ書けることも多いことに今さらながら気がついたためである。
だいたいが教育委員会・学校には都合が悪いことであるが。
本来、納税者に対して公教育の実態を公表するのは行政機関の義務であるのだが、教育委員会は情報公開に対してあからさまに消極的である。
その辺の実態も書いていきたい。

先に書いておくが、教師を辞めたものの本来の教育の価値はいささかも疑っていない。
教育という活動そのものは国家の根幹を成す一大事業だと認識しているし、ヒトを人間にするために不可欠な訓練だと信じている。

ただ現在、この国ではそのためのシステムが急速に陳腐化しつつある。
また、現実から大幅に落伍していながらも、当の教育行政機関は最小限の手直しで現状を維持しようと姑息な手段を講じているだけで、それに対しては嫌悪と侮蔑の感情しか持ち得ない。
ツギハギだらけの革袋に、ところどころ新しい革をあてがって新しい酒を注ぎ込み、結果としては古びた酒にしてしまっている。
革袋は教育制度・学校現場の、酒は学生の比喩だと考えていただきたい。

私はまだ独身であるが、将来的に子を持ったと仮定しても、公立学校にわが子を安心して預けられるとはまるで思えないのだ。
これは社会的に非常に危険な状態であろう。
不登校生徒の問題が取りざたされているが、近い将来、「学校に子供を送り出せない」という『反登校運動』が発生するのではないか。 


なお、そのスタンスは教育系名ブログ「教育毒本」を大いに参考にさせていただいた。シーサー氏に謝意を表したい。

 

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=6

Comment(0) TrackBack(0)


>>>   若者の生活

○○を死守する若者たち 2007-07-05 12:35:54 

私は学生寮に住んでいるので、学校内だけではなく、起きてから眠るまで若者の生活と隣り合わせだ。
正直、むかつくようなことも多々ある。が、入寮前に予想したほどはひどくなかった。
まあ、我々が学生だった当時も学生アパートの周辺住民とはトラブルが絶えなかったしな。
あまり他人のことは言えない。

今の学生はずいぶんきれい好きだ。条件付ではそう言える。
毎朝、余裕のない時間をやり繰りしながらも、必ず洗髪してから登校する者も少なくない。
洗髪後の共同洗面所の惨状には無頓着なので条件好きでないと「きれい好き」とは言えないのだが。

入浴もやはり、ほぼ全員が毎日済ましている。
温泉施設などでは近年、入浴マナーの低下が嘆かれているらしいが、意外に学生たちはこの点はしっかりしている。
体を洗う前に湯船につかる者はほとんどいないのだ。洗髪・垢擦りも隣近所にかなり気を配っていて、不作法に泡を飛ばす者はまずいない。
たいしたものである。
とは言え4月頃はそうでもなかったから、入寮後にこれら暗黙のルールを習得した者が多かったと言うことだろうな。

4月頃までは入浴を巡るトラブルも少なくなかったのだ。
例えば、共同使用の洗面器が消えてなくなったり。自室に持ち帰っていた輩がいたのだな。
浴室と廊下を隔てる入り口ドアの錠を掛けてしまったり。さすがにこれはかなりの寮生の怒りを呼んだ。
内鍵を掛けられたら誰も入浴できなくなるのだ。浴室には洗濯機・乾燥機も設置されていたから、洗濯中に締め出されてしまい、洗濯物の回収が出来なくなった学生もいて一騒動起こったこともあった。
寮菅さんに指導してもらい、問題も沈静化されたが現在も散発的に発生し、私も声を荒げることが時々ある。

さて内鍵を掛ける理由であるが、問題を起こすのが同一メンバーだったため当初は『仲良しグループで入浴していてるときに邪魔が入るのを防ぐためだろう』と思われていたのだが・・・
どうもそうではないらしい。
というのはこのメンバーは個々で入浴していてもやはり鍵を閉めていたのだ。しかも鍵を閉めるのは入浴後、脱衣所で服を着るときだ。不可解にもほどがある。

そういう疑問を抱きつつも入浴していると件のメンバーと何度か遭遇することがあった。別段、浴室内で騒ぐわけでもなく、淡々と入浴している。マナーも悪くはない。
なぜ今までロックアウトする必要があったのか理解に苦しむほどだ。
そう観察しつつ、彼らの姿には常に違和感を感じていたのだが・・・

彼らは常に腰にタオルを巻いているのだ。入室から退室まで。
正確にはパンツを着用する瞬間まで。垢擦り中もタオルで完全に陰部をカバーしている。
パンツ着用時など、濡れたタオルを巻スカート状にまといながら、器用にパンツを履くくらいだ。
修学旅行の中学生か、お前ら?と問いたくなるほどのガードの堅さだ。
いや、思春期の少年たちならまだかわいげもあるが、二十歳の青年たちがこれをやるのはかなり異様だ。
おそらく、ヒンシュクを買った浴室ロックアウトも鉄壁のガードの一環だったのだろう。

なんとも線の細い青年たちである。いや図体が大きくなっただけの少年、か。
どうでも良いが、お前たち、○○洗っているのか?と時々問いたくなる今日この頃である。

 

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=5

Comment(0) TrackBack(53)


>>>   教育

総合学習の幻影 何を与えることができたのか? 2007-07-03 16:24:36 

うちの学校は工学系だけあって実習が多い。
教官の指導の下、油にまみれて鉄などを削っている。
さすがに工業高校出身の学生は要領がよい。もっとも彼らには大きな弱点もあるのだが、それについてはまた後日記す。

大変なのは、そう、普通科出身の学生たち。大多数だな。
最近の中学校では金工もあまりやらないのか、ヤスリ掛けでもスキルを一から身につけなければならないらしい。
まあ良いさ。しっかり憶えれば初心者でもなんとか間に合う。
そういう風にうまくカリキュラムが構成されているからな。
その辺の巧みさは教職にいた人間でないとなかなか見えてこないのかも知れない。

ところが。そうは話がうまく運ばない。
学生の憶えがあまり良くないのだ。週を跨いでしまったりすると前回注意されたことを忘れてしまっている。
「だって教えることが多すぎるんだもの。」
そうか?90分の座学での知識量の方がよほど多いと思うが・・・。
周囲を見ていてよくわかった。

彼ら、メモなんかまるで取らないのである。
つまり口頭での説明は記憶に頼るだけ。あれではいかに吸収力の良い(らしい)若い頭脳でも厳しいだろう。
それで説明も一通り終わり、いざ作業となると。

「えと、○○って何だっけ?」
そしてさっきの説明を繰り返させるべく、教官の下に出向く。
私も経験があるけど、短時間に何度も同じことを説明するのはくたびれるんだよなあ。教官、乙です。

「△△の手順はこれで良いんだよな?」
その前の手順を失念している。作業課題の仕上がりが悪くなるわけだ。
とにかく憶えていないのである。

ごくごく少数がシコシコとペンを走らせている。そういう彼らは総じて失敗が少ない。当たり前だな。
ビジネスマンが分厚いシステム手帳を持っているのは至極妥当なのである。まさかお客様に何度も同じことを言わせるわけにはいかないからな。

こういう彼らも中学校では総合学習で「調べもの学習」を履修しているはずなのである。
資料を調べたり、どこかの職場に出向いて質問したり。
誰も彼もが教科の時間を削って確保した決して少なくない時間を消費しているはずなのである。
ところがそんな取材ごっこはまるで身に付いていないのな。少なくとも実生活への応用は出来ていない。

これも見ていて気が付いたのであるが、特別講義などが開催されるときにも筆記用具を持参しない学生が非常に多い。
担任に向かって「筆記用具はいりますか?」なんて訊くなよ。おまえ小学生か?とこちらが訊きたくなる。
でもプリント類が渡されるとそれへの記入は律儀なくらい、きっちり行う。

・・・与えられた課題はこなすが、自らは動かない、ってことか。
「生きる力の育成」ってこんな受け身人間を量産することだったのか?
まあ、国家指導者には都合がいいんだろうけどな・・・。

さて、数年後就職して、メモも取れないような新入社員たちがどうなるか・・・。あまり想像したくない。

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=4

Comment(0) TrackBack(1)


>>>   教育

先生、トイレ行ってきていいですか? 2007-06-29 16:29:00 

と授業中に頻繁に出て行く。大学生が。

教官もあえて制止はせず、すんなり出す。

 

ここ数年、私も学校現場にいて感じたのであるが、授業が始まってからトイレ行きを申し出るものが多くなった。別に若者の膀胱が小さくなったとか、ストレス増大で下痢をする者が多くなったというわけではない。

単に休み時間中にトイレを済ませようとする者が減っただけの話だ。自己管理能力が明らかに低下している。酷い者になると始業の5分後にトイレ行きを訴える。正直言って、そういう者には声を荒げたくなる。休み時間中何をしていたのか、遊ぶよりも優先して済ませることがあっただろう,と。

ところが最近の風潮では生理現象を阻止することは体罰だ、とされる。どう見ても濫用であるケースもしばしば見受けられるのだが「用便」という名目が免罪符となっているような風潮である。体罰のレッテルを貼られるのは教師と言えど(いや教師だからこそ)回避したいわけだから、まず却下することはない。

生徒はそれを重々承知した上で、自分の要求は却下されることはないと踏んだ上でトイレ行きを訴えるのだ。

私自身、幼少期から胃腸が弱かったからトイレ行きを止むにやまれず申し出る、という気持ちは理解できる。ときどきは悲痛な顔で訴える者もおり、即座に退室を許可していた。しかし濫用者のほうが目立つようになると・・・。

 

そして私の周囲の大学生たち。

18歳を過ぎてもその悪習慣は変わっていないようだ。休み時間は喫煙に費やし、授業中に用便時間を確保する。そのことに疑問は持たないらしい。

自分の甘さが認識できるのは就職してからだろうか?

 

 

 

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=3

Comment(0) TrackBack(2)


>>>   教育

「円周率は3」で計算しました。 2007-06-27 12:42:00 

マスコミに散々叩かれ、ゆとり教育の負の象徴のように語られている円周率。
本当は「およそ3として説明しても良い」ということであり、おなじみの『3.14』という数字が消えてしまったわけではないのである。
そういうことになっていた。

しかし。授業現場ではそうなっていなかったこともあったようだ。
やっぱり「円周率=3」で教えてしまった小学校教師もいたようだ。


先日の講義内で図面に描かれた金属柱の体積を求めよという課題が出された。
円柱の体積の計算方法は中学校・数学で扱われる。
「半径×半径×π×高さ」である。
これが数学の講義であればその解は「○○π立方ミリメートル」ということで特に問題は起きなかったはずである。

しかし我々が受けているのは工学である。抽象的な文字が入った数字ではなく、具体的な数字を求められる。
それが現実のモノを扱う技術系である。

煩雑な形状をしていたのでやや時間は掛かったが、計算機の使用も許可されており、ほどなく体積は求められた。
説いた学生は教官のチェックを受けた。
教官は無言で首をひねる。

「ちょっと体積が足りない。どうやって求めた?」
「はい。『半径2乗×高さ×3』です。」
「『3』ってなんだ?」
「円周率です。π=3ですよね?小学校でそう習いましたが。」
「・・・機械加工では小数2桁でもまだ足りないんだけどな・・・」

いや、まさか目の前で『円周率は3』で習ってしまったゆとり世代を目撃しようとは。
教官も語っていたが
「そう教えた方が悪い。教わる方はそういうものだと思ってしまうからな。」
同感である。あらためて教えることの責任の重さを感じた。もう教師じゃないけど。

幸いなことに我がクラスではその被害者は彼1人であった。あとは皆、3.14で履修していたわけである。

しかし彼の小学校時代の担任はいったい何人の「円周率=3」人間を育成したのだろう?
いったい何割がその後、その誤りを自覚しただろう?
果たしてその中の教師を目指している人間は含まれているのだろうか?

願わくば『円周率=3』の再生産が起こらないことを。

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=1

Comment(0) TrackBack(1)


>>>   教育

ゆとり世代とともに学んで、見たこと、聞いたこと、思ったこと。 2007-06-26 17:00:00 

若者たちの行動の観察・報告にあたって自戒すべきこと。
それがいつの時代でもあり得る普遍的な若者特有のものなのか、はたまた、ゆとり学習の弊害と恩恵(あるのか?)を受けて育ってきた
俗に言う『ゆとり世代』の特性なのかということである。

若者は愚かである。それゆえしばしば愚かしい行動をとる。
かつて若者だった人々にはよくわかることだろう。逆に現役の若者にはそれはピンとこないだろう。
わかるようになった頃には若さを失っているのだ。
それは仕方がない。人生経験が浅いのだから、思慮深く行動しようとしても限界がある。
それゆえしばしば失敗する。あるいはその大胆さから大成功することもある。稀だけど。
そういうことをヤリ玉に挙げることは本ブログの趣旨ではないことを先にお断りする。

私が興味を持っているのは「授業行数削減」だの「厳選されたカリキュラム」だの「生きる力の育成」「ゆとりある教育」「総合学習」その他、文科省が鳴り物入りで育て上げた当時の児童生徒、
いわゆる「ゆとり世代」たちが果たしてどういう人間に育っていくのか、ということである。
その育成に手を貸してしまった責任を感じているせいもある。
同時に「ゆとり教育」を大掛かりな実験と見て、その結果をつぶさに見たいという野次馬根性もある。むしろそちらがメインか。

文科省のお偉いさんたちがひねり出した教育政策の賜物を隣の机から間近に見、ありのままに報告した

この記事URL:http://1911a11911a1.mitekaite.com/?art_id=2

Comment(0) TrackBack(1)




プロフィール

70年代生まれ独身。

某岩手県の公立高校・市町村立中学校にて十数年勤務。仕事は面白かったものの、給食費の督促など本来の職務ではない業務の激増と教育委員会のデタラメぶりに将来を悲観し、退職。

現在、ゆとり世代学生らとともにキャンパスライフを送る。
筆者を大学教官と間違えているでいる業者の丁重な挨拶にどう対応すべきか悩む日々。


ログイン



携帯サイト


スポンサー


カウント

  本日 : 3

  昨日 : 7

  合計 : 6825

足跡